歴史から学ぶヴァイオリン
今回は少し趣向を変えて、良い楽器が生まれた背景から良い音楽について考えたいと思います。
なぜ、クレモナでアマティ、ストラディヴァリウス、グァルネリといった名器が生み出されたのか?!
街のすぐそばを流れるポー川のおかげで、よい木材が得られたというだけでは説明がつかないはず。
この思考を今回もまた在イタリアのガイド、Emiko Yasudaさんに導いていただきました。
なぜクレモナはヴァイオリン職人の才能を開花させることができたか?
クレモナにはメディチ家のように莫大な財産を芸術の振興につぎ込んでくれた有力者がいた訳ではありません。
それほどまでに名が知らしめられていなくても、やはりクレモナにも「クレモナを愛し、クレモナを素敵にする」ために尽力した人々がいました。
ビアンカ・マリーア・ヴィスコンティ
時は15世紀。イタリア北部の都市ミラノを首都とするミラノ公国の有力者、スフォルツァ家に嫁いだ女性です。
彼女は結婚式を挙げたクレモナを愛し、街全体を「素敵にする」大工事を命令したそうです。
死後もその一大事業は続き、お孫さんの世代まで継続されたそうです。
一年前に訪れたクレモナの街も、建物の外壁のレリーフまで手の込んだ装飾で美しかったのを思い出します。
ジャネロ・トリアーニ
過去のブログでもご紹介しましたが、ジャネロさんはスペイン語で「君、ジャネイロだね」というと「天才だね」という意味として使われているくらいの天才だったそうです!そんな人がやはり「クレモナの街を素敵にする」痕跡を残していったのですね。
他にもクレモナには、有名ではなくても木工装飾から絵画、土木工事まで多彩な人々がいたそうです。
天文時計、木工細工、画家、優れた奏者など各界の天才がいて、職人がよい仕事をする基盤があった。
90歳を過ぎても製作をやめなかったアントニオ・ストラディバリはじめ、クレモナ人は各界の天才の残した「素敵」な街を目にしながらそのバイタリィを維持したのでしょうか。
美しい自然があって、美しい建物ができ、美しい絵画が書かれ、教会に人が集う。高い天井に美しい声やヴァイオリンの音が響き渡る。いい響きの中にいれば、心が癒されより美しい響きを求めて演奏技術が高まる。演奏技術が高まれば、より良い楽器が求められ楽器を創る腕も高まる。そんないい連鎖が、良い楽器職人を生み育て、世界中で愛される楽器が生まれた。そして、クレモナの街に脈々と受け継がれているからこそ、今でも弦楽器の愛好者たちの憧れの街なのでしょうね。
たくさんの良いものに囲まれ、目にし、耳にすることが、よい演奏にもつながるのではと考えたくなりますね。
数日とはいえ、クレモナの街の空気を吸い・歩き・見聞きし・触れただけで良い音が出せるようになった気がするのは少々思い上がりでしょうか?